プロフィール

タコ

こんにちはtakoです。

私は美大もデザインの専門学校も出ていませんが、グラフィックデザイナーという肩書きをつけて10年以上仕事をしてきました。

アートディレクターという肩書きをつけて働いていたこともあります。


そんな私の職歴をざっとご紹介します。(以下、GD=グラフィックデザイナー)

  • デザイン事務所 7年(DTPオペレーター)
  • 派遣社員 3年 (DTPオペレーター)
  • 広告会社 10年(GD、AD)
  • 女性向け情報誌3年(GD)
  • 地域の情報誌1年( GD)

かなりのベテラン感ありますが、私は自分の事をずっと『なんちゃってデザイナーだ』と思いながら仕事をやってきました。

タコ
タコ

なんちゃってデザイナーとは】デザイナーもどき、デザイナーのようなものという意味だよ。


なぜ私が自分の事を『なんちゃってデザイナー』と思いながら仕事をしてきたのかを、以下イラスト(タコではない)を交えながらご紹介しますので(とっても長いです)、ご興味のある方だけぜひ読んでいってください。



【Mac草創期】17歳で漫画家を目指し上京

そもそも私は17歳の頃、高校を中退し漫画家を目指して東京へ上京してきました。




しかし、当時バブルに浮かれた東京に飲み込まれ、私は漫画家の夢をあっさり捨てフリーターをして荒稼ぎをするようになったのです。


そして、当時日本に上陸して間もなかったMacintosh!


漫画家を諦め目的を失った私は、パソコンで絵が描ける、というだけの理由で、当時東京で初めてできたMacの学校に通うことに決めたのです。

しかし、私はMacがなんのためのパソコンなのかよく知りませんでした。

・・・当時はインターネットなど情報もなかったので、田舎で育った私は、世の中にグラフィックデザイナーという職種があることすら知りませんでした。

この時、デザイン業界はMacの登場によってアナログからデジタルへと大きく変わる転換期でした。そんな新時代の主役となるMacintoshを勉強しようと息巻いたグラフィックデザイナー達がその学校に入学してきたのです。


こうして気鋭なグラフィックデザイナー達とともに何も知らない10代の私は一緒にMacの授業を受けることになりました。


しかし、高かった授業料の割には内容は乏しく、まだ登場したばかりのMacintoshに学校の先生の知識が追いついてなかった。

当然、高い授業料を支払って、ある程度の予備知識を持って入ってきているデザイナー達には不満足な授業内容でした。学校側に抗議して先生も3人ほど変わっていきました。

先生は授業中ずっと、私の横にいました。。。

多分、想定していた生徒のレベルが私ぐらいのレベルだったんだと思います。


そして学校を終える頃にバブル崩壊!!!!!




しかし私は危機一髪、就職できたのです。

学歴もない私ですがこのMacを習得していたおかげで(全然、習得できませんでしたが。)これからはMacの時代だという機運があったので、未経験の私を雇ってくれたのです。


【バブル崩壊寸前】デザイン事務所に就職

バブル崩壊寸前に、小さなデザイン事務所に何とか就職することができました。

その頃のデザイナーはまだMacを使える人がいなかったので、このデザイン事務所でただ一人Macが使える私は重宝されました。

当時はMac(デジタル)で作ったというだけでお客さんに喜ばれ仕事が増えました。

確かイラレVer 1.95フォトショVer1.25とかいうそんな時代。


しかし、このころの私はデザイナーの指示通りにMacでレイアウトする、いわゆるDTPオペレーターでした。

1から自分でデザインを作ったことはありません

しかし不遜にも私は当時「デザインって簡単にできる」と思っていました。

確かにこの頃のデザインは、まだ現代のように複雑な処理やレイアウトをするデザインは少なかったように思います。

しかしデザインは見るのと作るのではエライ違いです!

どんなに簡単そうに見えてもプロが作っているから簡単に作ってるように見えるだけです。素人が作ったものとは雲泥の差なのですが、この頃の私はまだ知りません。


しかしこれはのちに天罰がくだりますので、デザイナーのみなさんお許いただき先を読み進めてください。




その後7年間お世話になったその会社を退社した私は、もっと大きな会社に入ってみたいと思い、就職活動をするのです。(就活してから辞めたほうがいいと思うけど。)

そして、惨敗。。。

すでにこの頃になるとデザイナーがMacを使うのが常識となっていて、分業制の時代はとっくに終わっていたのです。

もう、DTPオペレーターを欲しがるデザイン会社はありませんでした。


【派遣登録】50社以上のデザイン会社を渡り歩く

就職活動を一旦諦めた私は、派遣会社に登録することにしました。

私はいろんな会社を見てみたいと思い短期勤務を希望します。

長くても3ヶ月、短いのでは1日だけの仕事もあり、50社以上の会社を渡り歩いていたと思います。

そしてさまざまな広告・デザイン会社を見て来ました。


私は、Mac草創期から7年間Macをやっていたので、オペレーションスキルは高かったのです。

こうしてあちこちの派遣先で働いているうちに、ちょっと大きめの広告会社の社長さんが私のことを気に入ってくれました


酒の飲み方がいい!と(多分)

そして、社長面接であっさりと入社が決まり、3年間の派遣生活を終え就職をしました。



【再就職】グラフィックデザイナーデビュー

この会社に就職が決まったことで、私に天罰がくだります。




私は「Macを10年やっている=デザイナーだ」と社長には思われて採用されたようなのです。

Macが使えればデザインができるという誤解があったのです。

さらに入社後、現場のデザイナーや営業陣の中には「こいつ派遣だったけど、社長に気に入られて社員に成り上がった。」という白い目で見る人もいました。

いや実際に言われた。




そんなアウェーの状態の中で「私デザイナーではありません。」などと言う勇気もなく、当然のように担当のクライアントが任されてしまうのです。

当時その会社ではまだチームで制作していく体制ではなかったのでディレクターなどもいませんでした。

そして営業から直接「はいこれデザインしてね」と写真素材とテキストだけ渡され、デザインを頼まれてしまったのです。

この時初めて思うのです。『これだけの材料で何をつくれと?




当然です、1からデザインを作ったことがないのでどこからどう手をつけて良いのかわかりません。

こうして、学校も出ず、ちゃんとしたデザイナーに師事することもなかった私が、グラフィックデザイナーとして働くハメになったのです。

私はオペレーションスピードを武器に、とにかく早くやってデザインに時間をかけるようにしました。

とにかく、ありとあらゆるデザインを見てとにかくパクリまくりました。

しかし今思えば、パクると言ってもただ装飾を真似ていたにすぎません。

こうして、なんとか飾り付けて素敵に見えるようなデザインを作り続けていったのです。

広告の目的もよく理解できず、コピーをライターにうまく頼めなくて悩んだり、デザインの目的が分ってないので、闇雲に見栄えのクオリティをあげるため徹夜作業を繰り返していました。

そのうち、会社が大きくなると体制も変わり、AE・コピーライター・クリエイティブディレクター・アートディレクターなど、チームでデザインをするという概念が生まれてきました。

おかげで広告の目的の整理は他の人が考えてくれるようになり、私は上っ面をデザインする達人のような域になっていったのです。

そんな苦し紛れのデザインを無我夢中で作り続けていくうちに、私は会社で出世していってしまいます。女性デザイナーのエースとして扱われ、下にデザイナーをあてがわれ、アートディレクターとしての仕事をする事を求められるようになるのです。

タコ

【アートディレクターとは】デザインのビジュアル部分を担当する人(デザインの方向性を決め導く役割)だよ。


しかし、私は自分でイメージしたデザインは作れるようになったけど、デザイナーが作ったデザインを正しい方向へ導く『ディレクション』ができませんでした。

だって、自分が広告の目的もよくわからず、感覚的にデザインをしているからです。

なので私は、私の書いたラフをデザイナーに渡し、私のイメージ通りにデザインを仕上げてもらう事しかできませんでした。

私はいつメッキが剥がれやしないか怯えながら働いていたのです。

しかし私の本心とは裏腹に、立場上大きなクライアントの仕事を任され、華やかな仕事をいくつか担当するようになりました。


こうして、私はできるデザイナーになったと勘違いするようになり、

完全に天狗になっていったのです。


しかし私は10年勤めたその会社を退社することになりました。

当時の彼(現夫)の転勤が決まりそれを機に結婚をし、転勤先の田舎町についていくことにしたのです。

それまでのキャリアを捨てるのは正直もったえないと思う一方で、これで化けの皮が剥がれる前に辞められるとも思っていました。

キャリアを捨てリスクをとる勇気のある決断をしたと、自分に酔いしれてもおりました。





【デザイン虎の穴】田舎の片隅にある女王様のお城へ

10年間勤めた東京の会社を辞め、夫の転勤についてとある田舎町に引っ越して行きました。

またデザインの仕事をしようと思い立ち、ハローワークへ職探しに行くと、応募している会社はたったの2社だけでした。

そのうちの1社は、この田舎町では大企業と言ってもいいんじゃないかという規模の会社で、そこに再就職が決まったのです。

その時はまだ天狗だったので「東京から来たデザイナー」なんていって、きっともてはやされちゃうハズなんて思っていました。

何ならパレードで出迎えられてもいいものだと


しかし私が配属されたのは情報誌を作る編集室でした

パレードどころかそこには一人の女性がいるだけ。

情報誌といっても新聞折込の集合広告ですが、

それをこの女性デザイナーが1人で制作をしていました。

彼女は15年前にその情報誌を自ら一人で立ち上げた人。まさに田舎の女王様として君臨して来た天才肌のデザイナーでした。

彼女は創刊時から『女性のためのお洒落な情報誌』を作ることに執念を燃やし、掲載するお店も選び抜き、自ら写真を撮影し、コピーを書き、広告の構成を考え、デザインもこだわって作っていました。

そして、その情報誌は15年の時を得て、高いクォリティを誇るお洒落な情報誌として、地元に多くの女性購読ファンを抱えていたのです。

しかしまだ東京から出て来たてだった私は

ちゃんと教えてもらえれば、それぐらい私にもできますけど!

という高慢ちきな態度だったと思います。


私はそんな女王様に反発しつつも、慣れない取材や撮影をこなし、デザインの精度をあげていったのです。

女王様は、私の作るデザインには一目置いていましたが、『写真・コピー・広告の構成』に関してはクソだと思っていたようで、容赦無くディレクションされました。

ワタシ
ワタシ

東京ではこういのうチームでやるんです。

女王様
女王様

田舎でそんなチンタラした事してられないんちゃ!


彼女と私のバトル?のようなものでこの情報誌のクォリティはさらに上がっていくことになるのです。

夫が転勤となるまでの3年間を、私は彼女の『デザイン虎の穴』に入って修行していたような気がします。

こうして、取材・撮影・コピー・広告の構成、このすべてを自分でやるようになってから、広告の良し悪しを決定する要素はデザインだけでは無いんだ、ということを改めて理解できるようになってきたのです。

私はここで意図せずして人生初めて『デザイナーの師事』を受けることになりました。

とにかく、大変な時間でしたが、そこで学べたことはとても大きかったことだと今は思います。当時は彼女にそんな事、口が裂けても、ひとっっっっことも言いませんでしたけど。

ここで言います。『ありがとうございました!!!

【パート勤務】地域情報誌の会社

夫がまた転勤となり、東京からさほど遠くはない場所なのですが『俺ら田舎もんだっぺよ。』という感じの街に引っ越しました。

私はまた情報誌の会社に入ることになりました。

こちらでは週3のパートで働くことを希望していたので、当然オペレーション作業をメインとする部署に配属されるものと思っていましたが。

がっつりデザインの仕事をする部署デザインチームに所属されることになりました。

ここで「もと東京のデザイナー」が効いてくる。。。


若いデザイナーさん達から色々と質問されたのですが、

デザインチームの主任、30代の男性デザイナーに

得意なデザインって何ですか?

と聞かれ、とっさに答えたのが


「その広告に合いそうなデザインを探して、それを上手にパックって仕上げるのが得意です。」と答えました。

なにかデザイン論みたいなのを期待されてたのかもしれませんが、私にはそんなもんはありません。

こんな事いったらさぞかし幻滅されるだろうと思ったのですが、意外にもそのデザイナーさん

と答えてきました。

そして「僕、ディレクションもできません。」といってきたのです。

私は心のどこかで、自分で発想出来ないと本当のデザイナーとは言えないんじゃないか、と思っていたところがありました。

そして私もディレクションができなかった事を思い出し、

「そんなもんだよなぁ。。。」と思うようになったのです。


【デザインって何だろう?】

こうして私は、学校でちゃんと勉強をしていない自分を「なんちゃってデザイナー」だと思いながらここまでやってきたのです。

そして現在、東京に戻りまた派遣社員としてデザイン会社を転々とし働きながら、じゃぁ本物のデザイナーってどういうものなんだろうと思うようになりました。


私の中にはグラフィックデザイナーとはこういうものだろうという偶像があり、それはアート的な感性があってアート作品があったりして。。。それが本物のグラフィックデザイナーなんだと。

じゃぁ、私はグラフィックデザイナーではないのなら、何なんだろう?

そんな、モヤモヤした気持ちをかかえながらもデザイナーと名乗って経験を積んできたいま、改めて本を読んだりネットで調べたりとデザインのことを勉強するようになりました。

そしてあの頃、中身の無いデザインを作り続けて苦しんでいた自分に、今の自分なら伝えてあげられることがあるのかもしれないと思うようになりました。

デザインって何だろう?

その問いに明確に答えることはできませんが、私なりに得た知識を少しづつでもブログにしていけたらと思います。

タコ

長かったね。終わり!